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Bloody Mary 別館

不注意

前方不注意

今年になって、会社の近所に引っ越した。
徒歩でも 10 分程度の距離になったため、自然、通勤はバイクから自転車にシフトした。つまり、 10年以上にも及んだ、バイクで車の間をすり抜ける緊張感から開放されたのである。

会社が近くなったおかげで、ゆったりとした朝の時間を持てるようになった。
わけがない。

通勤時間が短縮された分、起床時間も後方へシフトし、毎朝、 1 秒が砂金一粒にも匹敵する貴重な時間をギリギリまで節約、上り坂を駆け上がっている。

会社に着く頃には、表面上は平静を保った男がやけに深い呼吸をしているのが見て取れるだろう。息を荒げるような真似はしない。普段、あまり感情を表に出さない人物像を演出しているので、日常の行動にも気を使っているのだ。
稀に肉体の限界を超えた時には、出勤カードを切る時にすごいめまいに襲われ、席に着くと同時にキーボードの上にうつぶせになって、周囲から胡乱な目で見られることもある。

ともあれ、これもボードのための鍛錬と割り切ればそう捨てたものではない。肉体的には緊張を強いられているが、精神的にはかなり楽になった。通勤時に何も考えなくても良いほどに。

その朝は、いつものように坂を駆け上がっていた。風景は普段の如く代わり映えがしない。
仕事するのがもったいないほど無意味に青い空、いつものように真っ直ぐ突っ立っている電柱、時折横を通り過ぎていく車、坂道をゆっくりと登っていく老婦人。視界に映っているが、視てはいない状態だった。

急な飛び出し等、日常と異なる状況には反応し得るものの、見慣れたものには反応しない。そのおかげで、退屈な時間を自分の考えに充てることができる。世間では、慣れとは怖ろしいと言われているが、こうしてみると良い側面もある。

ところが、あまりにも自分の世界に入りこみ過ぎたせいか、視界からの情報が全部カットされてしまった。気がつくと、強い衝撃を受け、物理的に前に進めなくなっていた。そういえばいつだったか、ネズミ捕りにひっかかり、横から警察が飛び出してきて急ブレーキをかけたっけ。瞬時に覚醒する。

何のことはない、電柱にぶつかっていたのだった。
コミックじゃないんだから・・・人生で何回目かに、心の底から自分のことを間抜けだと思った瞬間だった。

通勤時間に考えなければならないほど緊急を要することなど、人生においてさほどない。自分の世界を構築するときは周囲の安全を確かめてからやるべきだし、ご飯を食べるときは味覚を (場合によっては会話も) 楽しむべきだ。そして外を歩くときは周囲に注意を払うべきだろう。

教訓: 慣れとは怖ろしい。

火の用心

私は猫を飼っている。

この猫には、元々別の飼い主がいた。病気の飼い猫を動物病院に連れて行ったところまでは、責任のある飼い主の行動である。ところが、病気が完治した後も引き取りに来ず、なんと 2 年が経過した。龍宮城にでも行っているのか?

狭いゲージに禁固2年。さすがにかわいそうである。

病気になってもすぐ治してくれそうな動物病院で飼おうと見当違いの考えを抱いたのかもしれない。そうだとしたら、優しくはあるが、はなはだ迷惑でしかない。猫が可愛そう、飼い主は可愛そうな人、などと不謹慎と言えなくもないことを考えつつ、私が引き取ることになった。

我が家に来た当時、何事にも怯えるチキンな雰囲気を発散していたが、ソマリという種の人懐っこさ故か、今では寝ている布団に潜り込んで来るほど懐かれた。

それは嬉しいのだが、眠っていると頭をかじってくるのが困りものである。どうも顔をこすり付けるときに歯が当たっているようなのだが、眠っているときにやられるとびっくりするし、衛生的とは言えない。
また、眠っているときに顔を舐めてくるのだけは勘弁願いたい。寝ているときは近寄ってくるくせに、昼間、顔を近づけると嫌そうに後ずさりする。
よく分からない。そんな時、しめしめと顔を近づけることにしている。人にやられて嫌なことは自分もしない。これも教育の一環である。

そんな風に、可愛がっていることは可愛がっているが、猫可愛がりするような飼い方ではなく、若干の距離を置いた付き合い方をしている。猫は猫で、時に近寄ってくるかと思えば、時に遠ざかっていく。そういう時は、独りがいいのだと思い、放っておくことにしている。まあ、それなりの関係を築いたと言えるだろう。

今年は冬が早く訪れた。
ボーダー達は嬉しそうだが、私が調子に乗って毛を刈りすぎた猫には辛かったらしく、寒くなってから私の部屋を訪問する回数が減って、あるときからぴたりとやんだ。その時というのが、居間にホットカーペットをつけて寝始めたころからだ。

その場所は暖かいと学んだらしく、お気に入りのクッションをその上に置いてやったら、夜、ほとんど来なくなった。ちょっとだけ寂しい。

そんな猫が、その夜はなんの気まぐれか私の部屋を訪れ、しかもやけに騒がしい。猫は明け方騒ぐものだが、その夜はいつもと違う、切羽詰った感じがした。
時間を見ると、草木も眠る丑三つ時。つまり AM 3:00 。幽霊でも見たのだろうか。
ぼーっとした頭で、早く来なさいよと言わんばかりの猫を追っていくと、キッチンが焦げ臭い。

鍋に火が付けっぱなしだった。
(-_-;

晩御飯の湯豆腐を弱火で温めていたにもかかわらず、食べ忘れた上に、火がかかっているのも忘れて眠ってしまったのだった。
これは危ない。我が家がなくなってしまうところだった。別に私の所有物ではないが・・・

どうも日常的に注意力が散漫になっている気がしてならない


その日からルゥは猫神様に昇格。お供えは山盛りに。ドライフードだけでは質素なので、その他に一品つけることに相成った。
ときおり猫缶 ( 猫が原料というわけではない・・・。怖ろしいことを書いた ) 。ときおり人間の食事 ( 魚、チキン ) を湯通しして塩抜きしたもの。

そんなルゥ様にお願いです。

これからも見守っていてください。食事と棲家はお任せを。

Updated: 2015/7/29 水曜日 — 13:00:44

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